岡山のしろくまさんからの
メーリスをご紹介します!
遅くなりましたが、先日の生放送を拝見しました。
ありがとうございました。
メディアや専門家が、コロナの不安を増長し、煽るだけ煽って、実際にどれだけ多くの企業やお店を経済的に困窮させてるか、実際に街に出て見てきて欲しいです。
日曜日に出掛けた時、気に入っていたお店が閉店セールをしていたり、5月31日まで休業だったのが6月に入っても休業中のままのお店もありました。
人が少しずつ多くなってきても、街の様相は以前と比べて変わっています。
一体彼らは自分の発言に責任を取るつもりはあるのか?と怒りを感じます。
同調圧力というのは、歴史は繰り返すのかと思いました。
こういう時こそ、様々な作家や表現者の社会に対する反骨と大衆に抗う、個人の意思の強さから学ぶことがあります。
随分前にNHKの「現場に立つ」谷崎潤一郎の『「細雪」を“書いた”女』の番組を見ました。
昭和18年、細雪の連載が始まってから戦況が切迫してきて、作品の中の優雅な生活が時局にそぐわないと軍部から弾圧を受け、雑誌に掲載を禁止されました。
昭和20年、谷崎は熱海や疎開先の岡山の勝山で書き続けていたそうです。
地元の女教員を招き入れ、女教員に先に階段を登るように言って、足袋の裏が汚れてないと見届け信頼し、その女教員に「細雪を書き写して欲しい。万が一の時は写した原稿を背負って逃げて欲しい。」と律儀に礼をしてお願いしたそうです。
戦時中の国民は、質素なモンペという国民服が常識だった中、谷崎は高級な着物を着て雪駄を履いて散歩していたそうです。
町中が度肝を抜かれ、戦時中に着物を着てることが当時では考えられなかったと、面と向かって「非国民」と罵る人もいたそうです。
そこまで必死に抗って作品を書き続け、そして終戦後に細雪を出版し、後に数々の文学賞を獲りました。
長文失礼しました。
以下、
谷崎潤一郎「『細雪』回顧」より
『文筆家の自由な創作活動が或る権威によって強制的に封ぜられ、これに対して
一言半句の抗議が出来ないばかりか
これを是認はしないまでも、深くあやしみもしないと云う一般の風潮が強く私を圧迫した。』
かつて、えらそーに「戦前・戦中の日本」を批判していた
メディアの連中が、自ら戦前・戦中の同調圧力と
全く同じものを作り出し、しかもそれを自覚もしていない
という現状には、腹が立つばかりです。
絶対に責任は取らせないといけません!